(はじめに)
うーん、と唸ってしまう。
何故、高村薫がこれほどまでに人気があって、★が平均して4個以上というのは、今の活字離れの時勢にあって、まことに不思議だ。
私のように偏屈、変人といわれる人が熱中するなら理解も出来るが。
いずれにしろ、軽薄、短小、いい加減、人気伺い、金儲け、売れ筋迎合、ベストセラーミーハー人気などなどと(私が)言っている本屋のワゴンの中にあって、この作品は光り輝いている。
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照柿
マークスの山
と続いて読んできたのだが
少し、異色を感じた面もありながら、
確かに、高村薫を女性と思っていなかったというひとが多くいるだけある。
そういう色合いがある筆が濃く出ていた。
でも
どれをとっても
素晴らしい作品ばかりだ。
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マークスの山は直木賞作品で、内容を見てもかなり分かりやすい。
レディ・ジョーカーは、壮絶で予想さえも出来ないタイトルからして、「よし、高村薫を読むぞ」、ぐらいの気合がいるのかもしれない。
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(では、感想を)
合田と加納という用意された二人の人物に、自分の内面を内面から見つめさせたり、あるいは客観的に静観させたりさせる。さらに、静観ではなく激しく批判的にも見ることもあったかもしれない。二人の違った視点を絡め合わせることもある。
人間である以上、誰もが持ち合わせている自省観念を、多角的な視点で扱いながら、練り上げた物語を現実味の帯びたドラマへと仕立て上げてゆく。
次のページが重苦しく厚い壁のように見えることもある。しかし、読者は遅々として進まないドラマの次を待っている。些細な展開の中に散りばめられた日常的な変化も見逃してはいけないし、その心理も御座なりにできない。
美文でもないし、報道記事風でもない。やはり、小説なのだと思う。これが、朝日や読売新聞社社会部のドキュメント記事のように綴られていたら面白いかというと、決してそうでもないだろう。
どんなキャラが好きか、嫌いか。ある方にそう問われたことがある。考えたこともなかったというのが正直なところで、私という者が人一倍に好き嫌いの感情がはっきりしている人間でありながらも、冷静で淡々と成り行きを見守っていることに改めて気づかされた感じだ。
感動を伴わないわけではないし、好き嫌いも無くはないが、そういうものは本質とは関係なく、男と女の間でいうならば許し合える程度のものかもしれない。それよりも、登場人物たちのそれぞれが自省と対話をする姿や心の叫びを、あたかも自分のことのように読み耽るとき、好きとか嫌いという観念が引き潮のように見えてなくなり、物語の中を流れる冷静で眩しいスポット光源が私の心に差し込んでくるのを感じる。
高村薫の小説作法が、先にも書いたが、美文でもなく、また分かりよいものだと言えるようなものでないだけに、この作家の人気の理由は、この泥泥として汗臭いような小説自体にあるのではないだろうか。松本清張が新しい推理小説を開拓したというなら、高村薫は再びジャンルを超えた社会派といえる。
残念ながら私は、商法や企業法、物権、債権などには縁の無い日常でして、この物語のひとつのポイントを読み解いてゆくのは難しい。法学や経営学の知識がもう少しあればと思うものの、一般社会で暮らすには実際には不自由もしないので、この小説レベルの話はお茶の間ドラマを見る感覚でサラリと流させてもらった。
しかしながらそういうことを片目で見ながら、高村薫がさり気なく読者に投げかける社会悪や不条理への感情は、少し物語から脱線しながら作者自身の新聞論説なども思い浮かべて考察したくなってくる。(これはこの本の感想では無いので省略)
高村薫という人は、ルポライターでない分、小説がルポっぽくない。詩人で無いから詩的でない。少しドタバタでギクシャクなところがあったが、これだけの長編ならば大きく差し引いて、読者の読書観を捻じ曲げてしまいかねないほどの刺激的な作品だになっている。
合田警部補(のちに警部)の、弱弱しい面と知的な面と不良でヤクザな面が、素晴らしくミックスされて、程よい加減だ。人物を取り上げると、どの人も味が出ている事に気がつく。これは高村薫の普段からの人間洞察力としか言いようがなかろう。
「
東電OL殺人事件」のような作品をこの人に書いてもらえたら、私は痺れて動けなくなるだろうな。