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花も嵐もⅠ はこちらです。

第1話はここ
花も嵐もⅡ

を書き始めます。

やっと。
14年乗ったKLEを引き取ってくれる人が見つかって、岐阜まで乗って行こうと計画をしたのですが、お天気が良くならずに月末を迎えるので、来年度の税金を払ってしばらく私が乗ることに決めました。引き取ってくれる人には申し訳ないのですが。

だからGWころには最後のお別れツーができるかなと思っています。

前回もユーザー車検で、何も点検せずにいっても、ナンバープレートの電球切れを指摘されただけでパスして、まだまだユーザーでいけると思っていますが、バイクをしばらく降りてゆっくりした移動手段の旅をやってみたいなとか、思っています。

高校時代に2年半ぶりぶりと飛ばして通学して、パタリと降りて6年間バイクはお休み。24歳で復活して30年乗りましたが、また休みます。

30年前に復活したときにバイクのエンジンがDOHCに揃ってしまっていたこと。夢のようなエンジンが目の前にあったときは驚きました。東北や四国で幾たびも超えた難関の峠道が、次々と廃道になってゆき、登山道しかなかった知床峠が舗装の自動車道路になり大雪国道がジャングルの中のダートではなくなってしまった今、やはりお休みを迎える時期なのかもしれないと思います。

今忙しく働いてエネルギーをためて、時期を計らって飛び出す。そう考えています。GWころにどこかで会えるといいですね。3月18日
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昔々、Mさんと出会ったとき、どんなきっかけだったのか忘れてしまったけど、本のことだろうと思うよ。共通の作家さんがいたんだ。

たったそれだけで友だちになれることは今の世の中を生きてゆくのに大事なことだと考えます。何でもかんでもが一致するのではなくて何かが一致すればいいのよ。

ほとんどが一致しないのを不自由だとか合わない人だとか合わせるのが嫌だとか付き合うのが嫌だというような理由で切ってしまうのではなく、そういう不自然さを受け入れる中で人々の心は器を広げて、かみ合わない歯車を上手にまわしてゆく物質的なものも、心の受け皿も成長させてゆく。

Mさんと出会って、何の対話も特別に交わしたわけでもないけど、mixi を始めてからの古い友だちとして、支えにしてもらってきてます。

むかしむかし、この日記に↑このような話を書いていたような気がする。詳しくは尋ねないけど、生活がガラリと変わる話を書いていたので、今思うと、そういうことなのかって思う。

私もいろんな人の人生を見てきたけど、まだまだ知らない世界や社会がある。でも、知らないところにも、私のいるところにも、共通するものがあるのよ。そういうものは分かり合えるような気がする。(はっきりと分かり合えないこともあると思うが、それを認め合い理解しあえば、また違ってくる)

遠慮せずに、みんなのおかげで生きてゆけばいいよ。応援するから。
ひな祭りの日に
引越し荷物回収の第一弾。



ポカポカ陽気に誘われて裏山に。



梅が咲いて、とてもいい香りを放っていました。
梅の花が咲きました。
そんなたよりが届きまして

 春の空いつまでたっても片思い

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ずっと持ち歩いて
すごしずつ読んでいたのだが
このたび最後まで到達したので


次はこちらに移りたい。


この2冊は斎藤孝の本髄とは随分とかけ離れていると思いながら読む。
どっちの写真が ええかなあ。
カツオとぶり

月曜日に(30日に)
カツオを食べて




カツオ、買ってきました。
いつも同じですが。
もう半分はお茶漬けにして食べます。



火曜日に(31日に)
ぶりを食べる。



本日のお魚は、ぶりです。
脂がのっているのはもちろんですが、
ほのかなとろみと甘みが抜群にいいです。



刺身、煮物、塩焼き。
この繰り返しで1週間。
先日、食べてしもうた。


蓋を剥がすと、こんなことが書いてある。
ラーメンがいただけるというので、ソフトバンクのお店を訪ねた。

私はテレビを見ないので、これらがCMになっていることは、うっすらとしか知らん。iPhoneユーザーで宣伝を見たことのないのは私くらいかもしれないなあ、と思いながらラーメンのことは、孫さんのツイートで知っていた。

家族(ツマ)がショップに行って「ラーメンがもらえるそうで来たのですが……」と言ったら、「ケータイを見せてくださった方に」と言われたそうで、私に「行って来て欲しい」と云う。そこで、私だけがソフトバンクなので出番となった。

仕事の帰りに、店に寄ったらそのままくれました。「ケータイ見せなくてええの?」と聞いたら、「持ってますよね」とニッコリかわい子ちゃんが袋にラーメンを1個入れてくれた。

八嶋さんが「大事に20年保存しておけば、プレミアものになりますね」とコメントをくださったが、私は食うことしか考えていなかった。

第一、20年も過ぎたら、親父の享年も祖父の享年も、ともに10年近くオーバーするので、短命一族としては、ラーメンどころか、私自身にプレミアがつくのではないか。


ほんの些細な出来事でも
とっても幸せなことだから
また、しばらくの間、
頑張れそうな気がする。

テーマ募集の作品を書いてみるものの
なかなか、思うように行かないね。

 母八十ボクの還暦まで待って
 孫の手は使いたくない孫欲しい
 長生きで妻と寄り添いゆく望み
 適齢期ムスメに代わってキョロキョロと

悔しいじゃない。
棄ててしまうの。
だから、ここに書いておく。
思いつき。あなたを好きになったのも ねこ

うそ。


生ビール。大ジョッキで一気にぐっと飲みたいな。

そういう話を何度も夕飯のときにして、

 ── そのうちね、

といいながら
夏が終わってしまう。

秋のビールが店頭に並んでいる。
そうだよ。
あのころのことをもう少し綴っておこう。

夕張炭鉱の町から出てきていた小倉君とか。
 線香花火守る貴方を好きになる

 遠い日の花火懐かし父の盆

 月丸し子供の頃の母の胸

--

そんなことを考えていた。
手繰り寄せて、さまざまなことを思い出す。
中には忘れてしまうこともあるけど
それは、もう追わない。
オロフレ峠のことを話している中で

--

開通は昭和63年か。ウチの娘が生まれた次の年やね。
私が最後に北海道に行ったのは1989年でしたから、
そのときには開通してたのね。
そっち方面には行かなかったように思うけど。

でもね、昔を語ろうとはそれほど私は思っていないのですよ。
あれは、私が見た景色で、言ってみれば私だけの景色であるわけです。

だから、
まえにも書いたけど、
大雪山の右半分の、ジャングルの中を延々と続くダートの国道や、
鎖場しかなかった知床峠を迂回して越えるダートの斜里峠も
ほかにもいやいやだったけど走らざるを得なかったガードレールもない原野のダートは
私の思い出であって、ある意味では、そのときで終わり。

もう再現することは出来ないし、
再現しようとして文明に逆らうようなことも出来ないでしょ。
だから、私が思い出して楽しんでればいいのであって、
ここに書くと嫌気を感じる人もあると思うのね。
(まあ、それでも書いてますけどね)


旅の目的地には、常に新しいものが生まれて
その旅を愉しむ手法も
やってくる人々も
その姿は刻々と変化してゆくのだから
旅人はそれを愉しめばいいのでしょうね。

地球の鼓動や溜息、吐息を肌に感じながらも、
私たちはそんな長大な時間のお付き合いは出来ないし
めまぐるしく変化する現代社会のクロックでしか旅は出来ない。

ことあるごとに、多くの旅人に「何故、旅に出るのか」と尋ねてみたのですが
「現実逃避でしょ」
とあっけなく答える人が圧倒的に多くて
質問をした自分も似たようなものであって、少し安心して、
仲間同士で旅先で乾杯をしたことが何度もあった。

結局、社会のなかで、みんなと足並みをそろえて行くのに疲れて、
他人の作り出したクロックから逃れたい一心でたどり着くのが北海道であり、
ひとりになれる場所なんだな。
そう思うの。

かけがえのない場所ってのは
他人には詰まらない所かも知れないし
注目もしない場所であるかもしれない。

私があの時代に旅をしていたころは、
写真だってそれほど撮らなかったし
電子情報にして簡単に残そうという発想すらまだないころです。
もちろんケータイ電話もないしね。
車にだってエアコンがついてないのが普通だったのだから
峠を越えている旅人に車の人が手を差し伸べてもそれはそれは不自然じゃなかったのです。

今という時代を走っている人が
30年後、60年後に胸が張れるようなところであり
今の旅を回想して胸を張って欲しいと思う。
30年たったとき、(今の旅が)使い捨ての旅になってしまっていたら、
それが一番残念なことだと、そんなふうに感じるのですよ。
--
mixi
八日目の蝉。 読み終わった。

小豆島行きたい!

大好きの言葉は届いた、そこで砕けた

角田さんの小説、味が増して来てるから、ちょっと映像は見そうにないなあ。

同じものを東野圭吾が書いたらきっと台無しだっただろうな。

最近は原作家(嫌味です)が多いからね。そういう作品とは一線を引きたいな。
わたしなら

最初の五七五で終わりにしておく。

儚いものは、儚くそっとおく。



一度だけあなたを好きと言いかけて言葉を呑んだ後が怖くて(星桔梗


八日目の蝉。テレビでドラマ化して、もう放送は終わったのですね。

角田さん、若い時より厚みが出たね。語力も発揮して、いい作品だ。

まだ真ん中へんですけど。

痛みがではなく、病というのが人を弱気にさせるというふうに思ったほうがいいでしょうね。

人は無力なんだな。人体に対してもかなり分かったような錯覚を持っていて、まだいまだに神がかり的なことや霊感的なことも、きちんと解明できていないしね。

病に対して弱気になる理由を追いかけてみると、生きるということもあり、自由を失うこともある。欲も在るから、何かを達成してとか終わらせてとかいうことなどを未完のままにすることも、ある種のストレスになる。

生きていることと死んでいることを同じようなことだと考えれば、痛みから解放されることは切なる願いで、死んででも痛みから解放されたいと思うこともあると思う。未知の域は明るさだけがまっているからね。

今回の場合は、リスクのことはお医者さんに任せるとして、弱気になっている元である痛みを取り除き、次の明るいステップに繋げられるように、時間が順調に過ぎることを祈ります。

ひとつの境地を抜けると、今の体制から抜け出して新しいことを始めようというような勇気や闘志が出てくるものだ。

僕の場合は政治に参戦することを考えたのだが、簡単に挫けて散ったけど。君ならどうする。さあ、考えようか。

(A君の日記へのコメント2)
元気か?と聞けなくなったので手紙の書き出しに困ってしまうのだが、整形外科的なものは、内臓疾患と違うので、まだ笑ったままで命を語れるのですが。

メスを入れることが、人間の身体にとって、神の掟を破るように、厳しいことであるということは、熟知していると思いますので、ネットでおバカな激励を送るくらいしか出来ませんけどね。

僕らが卒業の年のころも僕はヘルニアを患っていたが、ほったらかしで治ってしまったので幸運だったのでしょうね。

僕の親父は晩年に腰痛がひどくやはり同じように切ってもらうことになって、術後がなかなか元通りには成らなかったみたいで、筋書き通りには行かないものよ。運命とは不思議なもので、その医者に母が執刀してもらって(オーム事件のころに)大腸がんを切除して、周りの同室の人たちはみんな死んでしまったのに母親は生きてます。医術はそんなところでも神がかりなのかもしれないが。

冷めてる自分が居て、解剖学の教科書に書いてるように疾患部を思い浮かべて、まるで実験のように切り刻めば治る夢のようなことを見ている。設計屋を長くやっていると、設計図面が運命を決めるような錯覚に陥るので、冷酷な生き方も出来るようになるのかもしれない。

病気と男女の心には、設計図が通じないことはよく知っているつもりですが。
海外というのが、素人の僕らから見ると不安なのだが、刑務所に入るのでもないのだから、パソコン持って入院しなさい。遊ぼうじゃないか。

(A君の日記へのコメント)
倫子とはあの半島のある小さな浜で出会った。名前も知らないその浜で、沖に浮かぶ島を遠くに眺めていた。

バイクを堤防沿いに止めていた。そのあたりには人影もなかった。私は自分のバイクをその隣に止めて堤防から浜へと出たみた。

その子は夕日を背にしていた。気軽に声など掛けられなかったけど、このときはそんなことさえも考えていなかった。

海を見つめているその子のうしろ姿は綺麗だった。まっすぐに背を伸ばし、首を動かすこともなく、向こうを見ていた。

その子の顔はわからない。笑っているかもしれないが泣いていたかもわからない。
でも、うしろ姿が堂々としていた。きっと、目を細めていながらも、澄んだ瞳は輝いている、そう想像した。

その子の姿を遠くから見ていると、勇気が私に伝染してきた。真似をして同じような格好で私は沖を見つめてみた。身体がぞくぞくした。振動が伝わってくるような錯覚が私を襲う。この子は何を思ってこんな時刻に沖を見つめているのか。

その子に魔法に掛けられて動けなくされてしまったように私は海を見続けた。夕日は、赤色から紫色へと変化し、西の空から東の空へと移動してゆく。沖に浮かぶ島の上の空が赤く染まってゆく。

─ 綺麗な海でしょ。静かな海でしょ。ここが一番好きなん
彼女は振り返らずにそう呟いたあと、

─ あの島には名前があるのよ。行ってみたくなりません?
と私に向かって言った。

私に気づいていたのだ。私は返事に困った。気の利いた言葉など浮かばない。それに、私は島にはそれほど興味もなかった。しばらく、知らんふりをしていた。

─ 倫子といいます
と彼女は教えてくれた。
かの時に言いそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど 石川啄木

ふと、そのことで何かの下書きが
残っていた。

捨てられずに困ったが、トラックバックだけ貼って
消すことにした。

忘れよう。

昔、信州の名もない高原の
名もない森で朝を迎えたことを思い出している。

鳥が鳴き
朝日が空の片隅を赤く染め始め
冷気が私を包み込んだ。

あらゆることへのかかわりから開放された錯覚を
幸せと勘違いしていたのかもしれない。

それは死の淵にいる自分を見つめている時間でもあった。


森はただならぬほどに騒々しいのに
それを静寂と記憶している。

霧が森を揺らしていたかどうか。
記憶にはない。
あの人
この暑さで
絶対に溶けとる

溶けたら
拾い集めにいって
わたしのものにしょ

横になってなさい。これが一番いいの。
だんだんと他人のゆうことをきかなくなるから
困ったもんだ。

横になって休みなさい。
そう言って叱ってくれる人が少なくなったでしょ。


歳くうと
怖いものなしになって
ひとりよがりになるのよ。
誰のゆうこともきかない。

だから、子どもみたいやって言われるのよ。